名古屋高等裁判所 昭和39年(う)250号 判決 1970年10月28日
被告人 隠岐尚一 外四名
主文
本件各控訴を棄却する。
当審における訴訟費用中、証人藤本功に支給した分は、全部、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲、同水谷謙治の四名の平等負担とする。
理由
被告人浅野晃盛に関する本件控訴の趣意は、名古屋地方検察庁検察官検事上田朋臣作成名義の控訴趣意書中被告人浅野晃盛に関する部分、これに対する答弁は、被告人浅野晃盛作成名義の答弁書、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲、同水谷謙治の四名に関する本件各控訴の趣意は、前同検察官作成名義の控訴趣意書中、同被告人四名に関する部分、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同水谷謙治各作成名義の各控訴趣意書、同被告人四名の弁護人桜井紀作成名義の控訴趣意書、同被告人四名の弁護人阪本貞一作成名義の控訴趣意書、同被告人四名の弁護人安藤厳、同桜井紀共同作成名義の控訴趣意書、同被告人四名の弁護人白井俊介、同桜井紀、同大矢和徳共同作成名義の控訴趣意書(其の一、および其の二)にそれぞれ記載されているとおりであるから、いずれも、これらをここに引用する。
本件各控訴の趣意は多岐にわたるが、これを以下のように分節して、それぞれにつき、順次に、当裁判所の判断を示すこととする。
第一、被告人浅野晃盛関係
名古屋地方検察庁検察官検事上田朋臣作成名義の控訴趣意書記載の控訴趣意一、について。
所論は、要するに、原判決は、被告人浅野晃盛が、原判示長尾信に対し「人殺し、売国奴長尾信、貴様はそれでも日本人か、人間の良心をネズミの糞の一かけらでも持合わせたら即時裁判官を辞退しろ、愛国者松川被告諸君に加えた毒牙は、遠からぬ将来において、人民と正義の名において、貴様に厳烈な審判が下されるであろうことを夢にも忘れるな」と記載した郵便葉書一枚を投函配達せしめて、同人を脅迫したとの訴因につき、右葉書の記載内容が漠然として、具体的でなく、害悪の告知とするに足りず、当時の情勢をも考え併せると、判事である長尾信を畏怖させるに十分でなく、また脅迫の犯意も認められないとして、無罪の言渡をしたが、右葉書の記載内容は、その全体の文面および該葉書が発信され、到達した昭和二六年一〇月当時の社会情勢などを考えれば、右長尾信に対する害悪の告知であり、これによつて同人を畏怖せしめるに足りるものであることが明白であるから、前記のような認定をした原判決には、事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
所論にかんがみ検討すると、被告人浅野晃盛が昭和二六年一〇月一六日ごろ、名古屋市内において、所論摘録の趣旨を記載した同市北区西志賀町六二五番地長尾信宛の郵便葉書一枚(原審昭和三二年領第二〇六号の証第九号)を投函し、該葉書を翌一七日ごろ右長尾信方に配達させたことは、原判決書の理由中、第五、被告人浅野晃盛の無罪理由の欄に掲記された各証拠によつて明らかであり、結局被告人浅野晃盛の本件脅迫罪の成否は、右葉書の記載内容の解釈如何によつて決せられることとなるのである。およそ、脅迫罪が成立するためには、相手方の生命、身体、自由、名誉または財産に対する害悪の告知が存し、その害悪が、行為者自身もしくは該行為者の影響下にある者の手によつて、その他少くともその行為者によつて左右されるものとして告知されることを要する(ただし、現実に、その行為者が左様な影響力をもつていることを要しない)と解される。そこでこの見地に立つて、本件葉書の記載内容を検討すると、本件葉書の記載内容は、所論のように、まことに原判示長尾信に対する悪意に満ち、それが松川事件被告人らに対して同情を持ち、それら被告人に対し死刑を含む有罪判決をした長尾信に対して敵意を抱く者から差出されたものであることが十分にうかがわれるところであり、同葉書の文面中「愛国者松川被告諸君に加えた毒牙は、遠からぬ将来において、人民と正義の名において、貴様に厳烈な審判が下されるであろう」という記載から、その言外に含まれた意味を憶測すれば、あるいは、所論のように長尾信がいわゆる人民裁判によつて裁かれ、その人民裁判の結果、同人に対し、松川事件被告人らが言い渡されたと同じ死刑(厳烈な審判)の宣告が遠からぬ将来に下されるであろうという趣旨に解されぬこともなく、また前叙のような長尾信に対する敵意をうかがわせる所論前段の部分の記載、および最後の「夢にも忘れるな」という記載を併せて、右の審判(人民裁判)が、被告人浅野晃盛を含む一派の者によつて行われるとしたものと解されないでもない。そして、そのいわゆる人民裁判とは、当審第三回公判における証人井上芳郎の供述によれば、革命を行う勢力が一地方を制圧した場合に、民衆の前で、大衆の圧力を加え、法律に基かず、私刑を加えるものであるというのである。しかしながら、被告人浅野晃盛を含む一派の者が、右長尾信に対して前同趣旨の人民裁判を行うとの文言は、前記葉書には何ら記載してないところであつて、該葉書の文面は、原判決が説明しているように、害悪を加えようとするものか否か全く不明であり、たとえ、これを害悪の告知と解しても、その害悪が、被告人浅野晃盛の手によつて、あるいは同被告人が影響を与え得る何人かによつて加えられるという点については全然明確にされていないのである。これを要するに右葉書の文面を前記のごとく憶測して所論のごとく解釈することは、所論の社会状勢を考慮に容れても余りにも牽強附会に過ぎ、合理的な判断として理解するに由なく、右文面からすれば、明らかに、所論のごとく害悪の告知を含む趣旨に読みとれるという結論に達し得ないのである。尤も右葉書の文面が婉曲であつて、それは所論のごとく被告人浅野晃盛が卑劣にも、その罪責を免れようとする底意に出でたもののごとく解し得る余地もあり、また同葉書の郵送が、右長尾信に対するいわゆるいやがらせであるとも認められるが、然ればとて、曩に説明したごとく右葉書の記載内容から、それが右長尾信の生命、身体、自由、名誉または財産に対する害悪の告知であり、この害悪が、被告人浅野晃盛もしくは同被告人から直接、間接に影響を受ける何人かによつて加えられることを予告したものであることが明らかに読みとれるとの結論に達し得ない本件である以上、やはり本件においては、同被告人による右葉書の郵送が、脅迫罪の前記構成要件および脅迫の犯意を欠き、脅迫罪を構成しないものと解するほかはない。そうとすれば、これと同趣旨の結論に帰着する原判決は正当であつて、原判決には所論のような事実誤認ならびに法令の解釈適用を誤つた違法が存しないことに帰する。本論旨は理由がない。
第二、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲の各関係。
(一)弁護人桜井紀作成名義の控訴趣意書記載の控訴趣意第一点、(二)弁護人白井俊介、同桜井紀、同大矢和徳共同作成名義の控訴趣意書(其の二)記載の控訴趣意第一、(三)被告人隠岐尚一、同加藤正一各作成名義の各控訴趣意書記載の各控訴趣意、(ただし当該被告人関係)について。
(一)の所論は、要するに、原判決は、「当裁判所は当公判廷における証人長尾信の『事件の審理については威力とか誘惑に屈したようなことは絶対にない』『公平に独立して良心的に処理した』との証言を信用する」として、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲らに対する本件各名誉毀損の訴因について、同被告人らに関する刑法第二三〇条の二第三項(前同控訴趣意書に刑法第二三〇条第三項とあるのは誤記と認める)の主張を採用せず、また同被告人らにおいて、同被告人らが配付した本件各ビラの記載事実が真実であるという確信があり、かつそれを確信するについて十分な理由があつたという点について証拠がないと判示しているが、いわゆる松川事件の第一審における審理経過ならびに、司法権が独立性を失つていた同事件当時のわが国の状勢などにより、松川事件の第一審裁判が法律を無視し、経験則に反し、良心に反する裁判であつたことは明らかであるし、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲らや、国民の多くの者が、客観的に松川事件第一審の裁判を見て、同事件第一審裁判官らにおいて、同事件の被告人達の無実を知りながら、故意に極刑を科したと判断していることは否定し得ないところであり、また本件各ビラが配付された当時、松川事件の裁判の模様は、文書により、あるいは口頭で、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲の三名を含む社会の一部に知れわたつていたのであるから、前記被告人三名において、それぞれその配付した本件各ビラの記載事実が真実であるとの確信を抱くのは経験則からいつて、当然のことというべきであり、従つて、前記被告人三名がそれぞれ配付した本件各ビラの記載事実は真実であり、もしくは同被告人三名において、それが真実であることについて確信を抱いていた点の証明があつたというべきであるのに、前記のような判断をした原判決は、事実を誤認し、法令の適用を誤つたものである、というのであり、
(二)の所論は、要するに、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲が各配付した本件ビラに記載された事実に関し、真実の証明がないとしても、松川事件第一審当時、同審を含め、日本の司法権が独立していなかつたことは自明であり、右被告人三名を含めた大多数の国民、就中、労働者は皆その認識を有していたのであるし、本件各ビラ配付当時の出版物などの資料により、あるいは労働者としての実感などにより、右被告人三名は右の記載事実が真実であると確信し、しかもこれを確信するについて十分な理由があつたというべきであるから、右被告人三名の本件各行為については名誉毀損の故意が阻却され、同被告人らは、本件について無罪であるのに、右記載事実につき、真実の証明がなければ、それが真実であると確信しても名誉毀損罪の刑責を免れないとし、また、同被告人らにおいて、右記載事実が真実であると確信していなかつたと認定した原判決には、事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのであり、
(三)の各所論は、要するに、いずれも、松川事件第一審判決は誤判であり、本件各ビラの記載内容は真実であつて、被告人隠岐尚一、もしくは、加藤正一は名誉毀損の罪責を負わぬのに、原判決が、同ビラの各記載内容について真実の証明がないとして、名誉毀損罪の成立を認めたのは事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたものであるという趣旨に解される。
そこで、右各所論にかんがみ検討すると、
(イ) 被告人隠岐尚一が昭和二六年一〇月三〇日午前七時三〇分ごろから同日午前八時ごろまでの間、名古屋市南区大同町二丁目所在新大同製鋼株式会社星崎工場従業員通用門付近において、「五人の労働者を死刑にした長尾判事に抗議」と題し、「一昨年何者かが貨物列車をテンプクさせ、機関手と二人の助手を死亡させた。これが吉田が共産党と労働組合がやつたと宣伝した『松川事件』だ。去年一二月六日の裁判で長尾裁判長は五人の労働者を死刑、五人の労働者に無期チヨウ役、一〇人の労働者に合計九五年のチヨウ役を云いわたした。ところがこの裁判長は自分で作つた筈の判決文が読めなくて何度もつまり、しかも一度休憩までしてやつと読み終つた。ところがこの判決文を一週間後に取りに行つたところができていない。やつとあくる年の一月一二日にでき上り、判決文の日付は一月一二日になつた。それどころか当日の裁判所には眼の色の変つた人まで突然裁判官のそばに坐る始末(この男は抗議で退廷したが)この裁判の内容は押して知るべしだ。だから長尾判事はそれ以来神経スイ弱になり、今年の始め名古屋に栄転になつたのに裁判所にでてこなかつた。その筈彼は名古屋大学病院の精神病科に入院していて、やつと秋になつて退院したのだ。神聖なるべき裁判を外国権力に屈服してけがし、五人の労働者の命を奪つた長尾判事こそ売国奴だ。良心に恥ずれば天下に事実を公表し、辞職せよ! 長尾判事に抗議しよう。市内東区東外堀町名古屋高等裁判所内長尾伸判事宛、市内北区西志賀町六一六長尾伸宛、一〇月三〇日、白水細胞」と記載したビラ(原審前同領号の証第一号、同第二号を含む)(原判決は右記載のうち傍点の部分をもつて長尾信の名誉を毀損するものと判示)を配付したこと、
(ロ) 被告人加藤正一が昭和二六年一〇月二六日午前八時三〇分ごろから同日午前九時ごろまでの間、名古屋市東区長塀町一丁目所在名古屋通商産業局正面出入口付近において、「長尾判事の辞職を要求する。」と題し、「日本を外国の植民地にするための準備、恐るべきデツチ上げ松川列車テンプク事件(第一審死刑五名無期五名、有期刑一〇名)の第二審が全世界の抗議と監視の中で二三日から開始された。無実の人々を殺すな。と中国から山のような抗議文三〇〇万円以上の救援カンパ、フランス、米国世界各国の労働者、宗教家から無数の抗議、国内では数百万の労働者宗教団体が『真実を守るため、もうこれ以上黙つていられない』。と立上つた。自由党系の仙台弁護士会長初め一〇四名以上の弁護士が真実を守るため斗つている! この人殺し判決をした売国、人殺し裁判長長尾信は名古屋の裁判所に判事としているのだ。しかも鉄面皮にも平和、独立のため斗う愛国者の裁判にまたデツチ上げようと自分から進んで出てきているのだ! 全司法職員の諸君、市民の皆様もうこれ以上人殺し判事長尾信を名古屋にのさばらせておくことは出来ない。全世界の労働者の抗議に答えるため世界的売国人殺し判事長尾信を追放するために立上れ!、真実と平和を守るために!長尾判事よ。お前には良心があるのか、恐ろしくはないか、全世界の働く者の抗議憤激とお前に対する監視を! もしお前に良心のカケラでもあれば無実の二〇名のために立上れ! 労救愛知県本部、愛知産別電産統一委員会全新聞労働組合」と記載したビラ(原審前同領号の証第三号、同第四号を含む)(原判決は右記載のうち、傍点の部分をもつて長尾信の名誉を毀損するものと判示)を配付したこと、
(ハ) 被告人三輪晴雲が昭和二六年一〇月二六日午前八時三〇分ごろから同日午前九時ごろまでの間、名古屋市東区長塀町一丁目所在の名古屋通商産業局前道路北側にある原判示第四の各民家に、それぞれ前記(ロ)と同一記載内容のビラを配付したこと、
は、いずれも原判決挙示の当該事実関係各証拠によつて認めることができる。従つて、所論に関し判断を示すに際しては、右各ビラの記載内容(とくに、前記各傍点を付した部分)について、真実の証明の有無を先ず検討しなければならない。そこで、右各ビラの記載(原判決が長尾信の名誉を毀損するものとして摘録した前記傍点を付した部分)がどのような具体的事実を摘示しているかを考えると、先ず前提として、長尾判事が言い渡した松川事件第一審判決に事実誤認があること(右(ロ)(ハ)のビラの記載によれば、恐るべきデツチ上げ事件)が含まれていることはいうまでもないが、右各ビラを通読し、その文面自体から、長尾判事が外国権力に屈服して、右判決を言い渡した事実、さらには、該各ビラに長尾判事を売国奴あるいは人殺し裁判長と称していることならびに同各ビラの各記載内容全体の趣旨を通じ、長尾判事において、松川事件の被告人らが無実であることを知りながら、外国権力に屈服して、当該被告人らに対し、故意に、死刑を含む有罪の判決を言い渡したという事実が摘示されていることは明らかであるといわねばならないし、なお、(ロ)、(ハ)の各ビラの記載によれば、長尾判事が鉄面皮にも平和、独立のために斗う愛国者の裁判にまたデッチ上げをするために、自ら進んで名古屋の裁判所に転任をして来た事実が摘示されていることも指摘しなければならない。従つて、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲の前記ビラ配付行為につき、刑法第二三〇条の二第三項の規定が適用されるためには、同規定による真実の証明が前掲各事実について存しなければならない。ところで、右各ビラはいずれも長尾判事が前記松川事件第一審判決を言い渡した趣旨を記載しているのであるが、原判決も指摘しているとおり、該事件は合議事件であつて、単に長尾判事一個の判断をもつて、同事件の判決を左右することができないところであり、これに立脚する誹謗が当を得ていないことは明らかである。しかし、この点については、長尾判事が松川事件第一審裁判長として、該裁判に関する訴訟指揮を統轄したという趣旨に一応解し、以下において、判断を進めることとする。
はじめに、松川事件第一審判決が事実を誤認したという点についてみると、同事件の各審級の判決書謄本によれば、同第一審においては、昭和二五年一二月六日、同事件関係被告人鈴木信ほか一八名が共謀のうえ、東北本線金谷川駅を通過し、福島県信夫郡金谷川村大字石合地内の東京基点二六一粁二五九米四〇糎付近のカーブ地点を通りかかつた青森発奥羽線廻り上野行き四一二号旅客列車を脱線顛覆させ、同列車乗務の機関士一名、機関助手二名を死亡させ、さらに同事件関係被告人二階堂園子が右汽車顛覆の行為を幇助した事実を認定し、同被告人中、鈴木信、阿部市次、本田昇、杉浦三郎、佐藤一、を各死刑に、同被告人中、武田久、二宮豊、高橋晴雄、赤間勝美、太田省次を各無期懲役に、その他の同被告人らを各有期懲役に処する旨の判決を言い渡し、同第二審の仙台高等裁判所においては、昭和二八年一二月二二日、同事件につき、右第一審判決が認定した事実中、主として、昭和二四年八月一三日以前の謀議は該事件犯行の謀議として認められないと判断して、前記第一審判決を破棄し、同被告人らのうち、武田久、斎藤千および岡田十良松を無罪としたが、その余の関係被告人一七名に対し、いずれも有罪の判決(同被告人のうち阿部市次を無期懲役に、高橋晴雄、赤間勝美、太田省次を各有期懲役に、それぞれ変更する等の措置をとつた)を言い渡し、さらに最高裁判所において、昭和三四年八月一〇日、同事件に関する昭和二四年八月一五日以降の連絡謀議の存在にも疑が存するとして、右第二審判決を破棄し、同事件を仙台高等裁判所に差戻す旨の判決がなされ、ついで仙台高等裁判所において、昭和三六年八月八日、「本件公訴事実(松川事件公訴事実)の存在について、一抹の疑すら残らないとまで断定することはいささか躊躇を感ずるものがなくはないけれども、事件全体としての可能性は極めて少く、およそ確実な心証を得るなどということは到底不可能である。」という結論のもとに同事件被告人一七名に対し前記第一判決を破棄し、いずれも無罪判決の言い渡しがなされ、該判決に対し、検察官から上告の申立がなされた結果、最後に最高裁判所において、昭和三八年九月一二日、検察官の右上告を棄却する旨の判決が言い渡され、ここに松川事件について終止符が打たれたことが明らかである。そして、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲が前記(イ)、(ロ)、(ハ)の各ビラを配付したのは、前記認定のように、前記の仙台高等裁判所の差戻前の第二審判決が言い渡される二年有余以前であるけれども、松川事件裁判の経過が前叙のとおりである以上、結局前記の松川事件第一審判決に、事実の誤認があつたことに関しては、その証明があつたものといわなければならない。
次に、長尾判事において、松川事件の関係被告人らが無実であることを知りながら、前記のような判決を言い渡したとの点について、所論は数個の事例を上げて、これを証明できるとしているので、これについて、若干判断を示すと、先ず、松川事件における共謀の日時場所に関する検察官の釈明の点に関し、(証拠略)によると、松川事件第一審公判において、同事件の共謀の内容に関し、同事件関係被告人側から、検察官に対して釈明要求がなされ、検察官において、該謀議の回数が一一回位である旨の釈明があつたほか、これについて具体的な釈明がなされず、そのうち、裁判所において、それ以上釈明要求をさせない態度を示し、冒頭陳述に入つたことがうかがわれ、同事件第一審判決書謄本の記載によれば、同事件の各起訴状には、「被告人らは外数名と順次共謀の上、昭和二四年八月一七日午前二時頃より、同三時頃までの間、東北本線松川駅金谷川駅間、東京基点二六一粁二五九米附近カーブになつている地点に於て、バール、スパナ等を使用し、線路の東側軌条継目板をボールトナツトを抜いて取外し、該軌条の犬釘、軌条支材等を抜き取り、因つて云々」の記載があり、右の共謀の内容については、具体的な記載がなかつたところ、検察官は昭和二四年一二月五日の第一回公判において、「外数名とは、本件(松川事件)関係被告人の中の他の者を指し、順次共謀とは八月一二日から同月一六日までの間、前後一一回に亘つて、国鉄労働組合福島支部事務所及び東芝松川工場内等に於て、二、三名乃至一二、三名によつて、順次謀議が行われ、被告人等の間に於ては、本件犯行について互いに意思の連絡のあつたことを意味する」と釈明しており、さらに、その後同年一二月一六日の第六回公判においてなされた冒頭陳述の際、誰と誰が何時何処で謀議を為し、誰がその実行を為したかを明白にし、かつその後昭和二五年八月七日第七四回公判において、その点を明確にして起訴状の訂正(同年八月一二日第七九回公判で一部追加訂正)をしたものであることが明らかであり、これらに関し、同事件第一審においては、本件(松川事件)は共謀に基く共同正犯の起訴であるから、共謀の事実とそれに基づく実行のあつたことさえ記載すれば、起訴状の記載としては欠けるところがなく、後の起訴状の訂正は、前記の冒頭陳述において明確にされているところであるから、被告人らの防禦権を侵害するものではないとの見解のもとに、右共謀の点に関し、右程度の記載があるにとどまる起訴状を容認し、かつこの点に関する検察官の釈明を前記の程度にとどめ、さらに前記の起訴状の訂正を許したと認められ、このような、同裁判所の見解、および措置は、あながちに、これを不当と解することができず、これによつて、同審裁判長長尾信に、同事件に関する予断偏見があつたことの証左とするわけにはいかない。次に、松川事件被告人佐藤一の八月一三日の行動に関する青年部議事録の点について、(証拠略)によると、佐藤一が、松川事件の第一審公判廷において、右の八月一三日東芝松川工場前原工場で、松川労組青年部常任委員会に出席していたことを証するため、その会議議事録を証拠として申請したところ、該申請を却下されたことを認めることができ、右各証拠に、松川事件の差戻前の第二審の判決書謄本の記載を併せ考えると、右議事録が、同第二審において、証第一一五号として採用され、右の八月一三日の謀議の存在を否定する資料の一となつていることがわかり、また同事件の第一審判決書謄本の記載によると、同判決が刑事訴訟法第三二八条によつて提出された内貴芳夫の検察官に対する供述調書の記載と対比して、右佐藤一の右八月一三日の行動に関する証人野地吉之助、同西山スイの各証言が措信できないとしていることが明らかであるが、前記議事録の証拠申請却下の理由は明白でないし、概して、被告事件審理の際における証人の証言の信憑力についての判断は、当該審理裁判所の心証形成の問題であり、これについては、後に説示したとおりであるが、少くとも右の措置のみを取り上げて、長尾判事の予断偏見を云為することは困難である。さらに、松川事件の被告人高橋晴雄関係の所論について、(証拠略)によると、右高橋晴雄が国鉄に在職中負傷し、身体に障害があり、松川事件第一審公判廷において、座ぶとんの使用を許されていたことが認められるが、右の(証拠略)によつても、同人は松川事件第一審公判廷において、右怪我の点については当初触れることなく、同松川事件公判の最終陳述の段階になつて、初めて右身体障害のため遠路の歩行が困難である趣旨を述べたことが認められ、これに対し、松川事件第一審判決書謄本の記載によれば、同裁判所では、その施行した検証の際、右高橋晴雄が支障なく、また苦痛を訴えることなく、歩行したことを想起し、また同人が最終陳述の段階に至つて、初めて右の主張をしたことに不審をいだき、結局その主張が真実の訴えでないと判断したものであつて、今日になつてみれば、右高橋晴雄の前記身体状況について、いま少し綿密な調査をすべきであつたとの批判もあり得るところであるが、同事件の差戻前の第二審判決書謄本の記載によれば、同審においては、同人の身体状況について、四名の鑑定人に鑑定をさせ、その鑑定の各結果と他の各証拠とを詳細に対比検討した結果、同人の歩行能力は同年輩の正常人(身体障害のない健康人)に準ずるものであつたとの結論に達し、結局、同人の前記汽車顛覆作業現場への歩行が可能であると解しており、同事件の差戻後の第二審判決書謄本の記載によると、同審において、はじめて、同人の前記八月一七日の行動に想到し、かつ、同審に新らたに提出された新証拠、ならびに従来の各証拠を詳細に検討した結果、右高橋晴雄が、前記作業現場に赴いたものでないとするに至つたものであり、これらの事情からみて、右高橋晴雄の身体状況から、同人の前記作業現場への歩行が不可能であることが、疑う余地なく明白であつたとはいえないものと思われ、同人の右の歩行が可能であつたと判断したことをもつて、長尾判事が右高橋晴雄の無実を知りながら、敢えて有罪の判決をしたものと考えることはできない。これに関し、(証拠略)および松川事件の差戻前の第二審判決書謄本の記載によると、同事件第一審が、右高橋晴雄の身体障害に関し、証拠決定によらないで、数ヶ所の病院に事実の照会をし、かつその回答を得ながら、これを法廷に顕出しなかつた事実が認められ、この処置は、同第二審判決もいうごとく、妥当を欠くものであつたと思われるが、さらに同第二審判決によれば、その照会に対する回答の内容は、右高橋晴雄の各病院における診療の経過および退院または診療廃止当時の治癒状況の概要を示すもので、その中に、質問事項たる「長途の歩行に堪え得たか」というものに対する回答で「堪えざりしものと認める」というのは昭和一九年九月までの、即ち診療廃止の時までの状況をいつているもので、これによつて、直ちに、松川事件発生当時における右高橋晴雄が歩行困難な状態にあつたことにはならず、この証拠を法廷に顕出しなかつたことを以て、右高橋晴雄に利益な証拠を故意にかくしたというべきものではないというのであり、また故意に有罪の判決をしようとするのであれば、結審後、右のような照会をすることはないとも考えられるのであつて、右各点についても、長尾判事の松川事件に関する予断偏見の存在を示すものとは考えられない。
次に、スパナ等に関する所論を考えると、松川事件第一審判決書謄本によれば、同審が、自在スパナによつて、ナツトの取外しができるかどうかの判断について、何等特別の知識を必要とせず、鑑定人の鑑定にまつまでもないとして、これが、可能であると認めていることは明らかなところであり、この見解は、該事件の重大性からみて、やや軽率のそしりがないでもないと考えられるが、同事件差戻前の第二審判決書謄本によれば、同審においては、この点について鑑定を施行した結果、認定時間内の作業が可能であるとの結論に達しているところであつて、前記の第一審判決の前記判断がとくに常軌を逸しているものとも考えられない。
さらに、(証拠略)によると、松川事件の第一審公判廷において、同松川事件の関係被告人二階堂園子の供述調書の任意性の立証のため、玉川警視が証人として取調べられた際、同証人が右二階堂園子を侮辱するような伝聞にわたる証言をしたので、これに対し、同事件被告人らが抗議したところ、同被告人らが右事件の裁判長長尾信から発言を禁止され、その一部の者に対し退廷命令が出されたことを認めることができるのであるが、その時の状況にかんがみ、軽々に、右裁判長のその措置が不当であつたと断ずることができないし、ましてや、そのことによつて、右裁判長長尾信が故意に不公平な裁判をした証拠とするに足りない。
その他の所論指摘の諸点は、松川事件第一審の裁判官の心証形成の不当をいうものであると解されるところ、松川事件は、同事件の関係被告人赤間勝美、同濱崎二雄、同大内昭三、同小林源三郎、同菊地武、同太田省次、同二階堂園子、同加藤謙三らの自白、自認が中心となり、これらの自白、自認に関する調書の信憑性の有無が、同事件の有罪無罪を判定する決め手となつたものと理解されるところ、この問題を解決するため、同事件各担当裁判官らが心血をそそいだと思料されるのであり、同事件の性質について、差戻後の第二審判決の言葉を借りれば、「本件(松川事件)の審理が原二審において、一審よりも詳細で続審的となり、当差戻審において、さらにその取調べた証人の人数や特に書証において、飛躍的に膨大な数量にのぼって、通例の事件とは逆に逆ピラミツド型をなしているのは、松川事件がいかに難件中の難件であるかを如実に示しているものである。」また「本件は上告審で七対五の意見がわかれ、その過半数の一致した意見によって、重大な事実誤認の疑ありとして、原二審判決を破棄して差戻しとなつたほどの複雑微妙な問題をはらんだ難事件である。その証拠関係は膨大で、かつ積極、消極両面の証拠が交錯混線して、複雑多岐を極めているマンモス事件なのである。」ことが明確に論破されている。そして、松川事件の証拠の一切を逐一検討していない当裁判所において、同事件の前記各自白、自認に関する調書の信用性に関し、ここに喋々するの限りでないが、同事件に関する第一審判決書、差戻前、差戻後の各第二審判決書、最高裁判所の二回に亘る各判決書の各謄本の各記載を仔細に検討してみれば、その各担当裁判官らが、前記の問題の解決のために、如何に努力をしたかが、十分に酌みとられ、ひいては前記各自白、自認に関する調書が、信用できないことをしかく簡単に洞察し得たものとは到底考えられない。従つて、同事件第一審が前記各自白もしくは自認に関する調書を信用して、同事件の関係被告人らに対し有罪判決をしたことをもつて、その間に不当な意図があつたものとは認められない。
また長尾判事が外国権力に屈服して、松川事件の第一審判決をしたという点について、考えると、松川事件第一審裁判当時、日本が連合軍司令官の統治権のもとにあり、同占領目的にそう各種の法令が発布され、裁判官も該法令に従つた事実は存するが、少くとも公判審理に基づく事実の認定に関して、占領軍の意向に左右されたとの証左は毫もなく、当時わが国の司法権全体が、独立性を失つていたという所論は独自の見解であつて、採用の限りでなく、松川事件第一審の審理中、同公判廷で占領軍々人が一回裁判官席の後方で傍聴したことがあること(前記(イ)のビラの記載中、それが判決宣告期日であつた旨の記載は事実に反する)、長尾判事が、松川事件の審理の進行状況について、一、二回占領軍人に口頭で報告したことがあつたことに関して、当裁判所も、原判決の説示と同様に考えるから、これだけで、長尾判事が外国権力に屈服した結果、同事件の判決を言い渡したと認めるに足る証左とは考えない。また、長尾判事が、前記(ロ)、(ハ)の各ビラに記載されているように、愛国者の裁判にまたデツチ上げをするために、自ら進んで名古屋に来たという事実については、これを認めるに足る何らの証拠が存しない。
以上の判断に従えば、被告人らが配付した前記(イ)、(ロ)、(ハ)の各ビラの記載中、右長尾信の名誉を毀損する前記各摘示事実、とくに長尾信が、松川事件第一審裁判長として、同事件の関係被告人らが無実であることを知りながら、外国権力に屈服して、故意に有罪の裁判をしたという事実について、真実の証明があつたとは認められないことに帰着する。
さてそこで、被告人らにおいて、前記各摘示事実が真実であることについて確信があつたとの所論について考える。
名誉毀損罪に関する刑法第二三〇条の二の規定は、名誉毀損の行為が違法性を欠く場合として、その摘示した事実について、真実の証明が存することを要求しているが、右摘示事実について真実の証明がない場合においても、行為者がそれを真実と誤信し、またその誤信したことについて、確実な資料、根拠が存する場合にも、違法性を欠き、名誉毀損の罪が成立しないと解すべきところ、所論は、主として、被告人らにおいて、前記各摘示事実を真実と確信したことを強調する節もあるが、その全体を通観すれば、結局、右摘示事実を真実と誤信し、またその誤信したことについて、確実な資料があつたから、本件名誉毀損罪が成立しないとの主張と解されるので、以下この趣旨で判断をする。(この点について原判決は、「最高裁判所の判決によれば、真実であることの証明がなければ真実であると確信しても刑責を免れることはできない。」と註記しているが、原判決のいう趣旨にそう従来の最高裁判所の判決は、その後の最高裁判所の判決により、前記のような趣旨に変更されており、原判決の右説示は誤りというべきであるけれども、原判決は、右の説示につづいて、被告人らの前記事実についての確信の有無、またその根拠の点に関し判断をしているのであるから、原判決がこの点について法令の解釈適用を誤つたものとはいえない。)
そこで、被告人らが前記各摘示事実を真実と信じたというその根拠について考えると、(証拠略)によれば、結局その資料とは、当審で取調べた松川事件弁護人団岡林辰男、大塚一男、梨木作次郎名義松川事件捜査本部宛弁護人団からの公開状、松川事件列車テンプク事件についてと題する書面、東芝労働組合連合会、国鉄労働組合統一委員会名義の正義と自由を愛する人々に、松川事件の真相を訴えると題する書面、日本労農救援会出版部発行スターリン毛沢東えの手紙――死刑と闘う松川の労働者とその家族――と題する冊子、日本共産党出版局編真実は必ず勝つ、世界注視のまと松川事件の真相と題する冊子、東芝労働組合連合会宣伝部名義世紀の大陰謀と闘うと題する書面、日本労農救援会愛知支部発行愛知労救ニユースナンバー二六、三一、三二、三四、三五、一九五一年三月三〇日号外などの各記載を読み、労働者としての連帯感あるいは直感によつて、松川事件関係被告人らの無実を信じ、被告人加藤正一においては、昭和二六年八月ごろ、松川を守る会の責任者として、現地調査に参加し、実際に現地を歩行して、松川事件関係被告人高橋晴雄の歩行不可能を信じ、またスパナによつて、ボルトの緩解実験を行つて短時間内での作業が不可能だと体験したというのであり、また前記の冊子あるいは書面中には、松川事件担当裁判官らが、同事件関係被告人らの無実を知りながら、有罪判決をしたとの趣旨が記載されている部分もあるけれども、それらの冊子もしくは書面は、比較的簡単なもので、その記載内容も、一方的であるきらいがあり、同事件につき、その関係被告人らを有罪と認めた前記第一審判決、同第二審判決の各記載と対比してみるとき、同事件第一審判決に事実の誤認があるのではないかとの疑いを生ずることはともかく、長尾判事が、該被告人らの無実を知りながら、外国権力に屈服して、有罪判決を言い渡したと信ずるについての確実な資料とまではいい難く、同事件関係被告人高橋晴雄の歩行能力、スパナによるボルト緩解作業の能否等の点についてはさきにくわしく説示したように、微妙な問題があつて、しかく簡単に結論を導くことが不可能と思われるし、労働者の直感といつても、これをもつて、前記の摘示事実全部を信ずるについての確実な資料とは考えられない。従つて、右各資料の存在をもつてしても、長尾判事が、松川事件の関係被告人らにおいて無実であることを知りながら、死刑を含む有罪判決を言い渡したとし、同判事を、人殺し裁判長あるいは売国奴と罵るに足る確実な根拠があつたとするに十分ではないと考えざるを得ない。そうとすれば、右と同一の結論に至つている原判決には、何ら所論のごとき事実誤認もしくは法令の解釈適用を誤つた違法が存しないことに帰着する。本論旨は理由がない。
(四)弁護人安藤巌、同桜井紀共同作成名義の控訴趣意書記載の控訴趣意について。
所論は、要するに、原判決は、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲らが配付した本件各ビラの内容が、いずれも長尾判事において、外国権力に屈服して、裁判の独立を抛棄し、本来松川事件の被告人達が無罪であることを知りながら、故意に、死刑の判決を言い渡したという意味に帰するから、刑法第二三〇条の二第三項の適用があるためには、右事実を立証することを要し、単に、松川事件第一審判決が事実を誤認したことを立証するのみでは足りないとし、本件においては、原判示のような事実の証明がなかつた旨ならびに、前記被告人三名において、該事実が真実であると確信したことの証拠がない旨を判示しているけれども、同被告人三名が配付した各ビラの内容は、松川事件第一審判決が(またそれを主宰した長尾判事が)無実の同事件被告人達に死刑の宣告を下したことに対する抗議であつたのであり、ひいては右の松川事件第一審判決が事実を誤認したことを主張したもので、結局それは誤判の主張であり、誤判に基づく、いわゆる司法殺人に対する抗議であつたのである。そして松川事件の第一審判決が誤判であり、長尾判事が予断と偏見をもつて、その誤判をしたことは、同事件第一審における審理の過程、同事件の差戻後の第二審判決等によつて明らかであり、同判事が外国権力に屈服して、前記判決をしたことは、その審理中、占領軍々人を同裁判の公判に立合わせたり、占領軍々人に対し、同事件の進行状況について報告していることによつても明らかであつて、前記被告人三名が配付した各ビラの内容をなす前記事実について、立証があつたものというべく、また、同被告人三名の確信の点に関しては、本件当時すでに発表されていた松川事件の主任弁護人岡林辰男の論文その他により、同事件に関心をもつ労働者、知識人らは十分知っていたし、前記被告人三名らの労働者としての直感から、前記事実を真実と信じたことも当然であつて、同被告人三名において、松川事件の細部にまで知識がなくとも、右の確信がなかつたとはいえない。従つて、前記のような判断をした原判決は事実を誤認したものである、というのである。
所論にかんがみ検討すると、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲が配付した本件各ビラの記載内容に関しては、前記第二の(一)、(二)、(三)、の各所論に関し判断する際に、既に説明したとおりであるが、その名誉毀損関係の摘示事実が、前叙のように、松川事件第一審において、長尾判事が言い渡した判決に事実誤認が存する事実、長尾判事が外国権力に屈服して該判決をした事実、長尾判事において松川事件関係被告人達が無罪であることを知りながら、外国権力に屈服して、有罪の判決をした事実、なお前記(ロ)および(ハ)の各ビラについては、長尾判事が鉄面皮にも平和、独立のために闘う愛国者の裁判にまたデッチ上げをするために、自ら進んで名古屋の裁判所に来た事実を含むものであることは、前記各ビラの記載内容を通読すれば、何人にも自ら明らかなところであつて、松川事件第一審判決に事実の誤認が存したとの事実も含まれているとは解されるけれども、それのみにとどまるものではない。従つて、刑法第二三〇条の二の規定の適用にあたつては、すべからく前記各摘示事実全部を対象にして、その真実の証明の有無を判断しなければならないのである。所論のうち、松川事件の第一審裁判所である福島地方裁判所が同事件に関し、自在スパナの緩解力に関して、国鉄職員を裁判官室に招いて説明を聞いた事実については、原判決のいうように、本件各証拠によつても、これを認めるに足る証拠がなく、右各摘示事実に関する真実の証明、あるいは前記被告人三名のこの点についての確信およびその根拠に関しては、前記第二の(一)ないし(三)の所論に関する判断にあたつて、詳細に説明したとおりである。従つて、原判決には所論指摘のような事実の誤認が存しないことに帰する。本論旨も理由がない。
(五)弁護人白井俊介、同桜井紀、同大矢和徳共同作成名義の控訴趣意書(其の一)記載の控訴趣意第一について。
所論は、要するに、原判決は、原審における弁護人らの主張を「被告人が配付したビラ中の判事長尾信が外国権力に屈服して神聖なるべき裁判をけがし、人殺し判決をした売国奴である旨の記載は、真実を記載したものであつて、同判事は松川事件の被告人達が無実であることを知りながら、有罪の裁判を為したものである」旨要約し、このように要約した弁護人らの主張について判断を示しているのであるが、右の要約は、弁護人らの主張の半分を表わすのみで、弁護人らの主張は、そのほかに、本件各ビラの記載内容から、松川事件第一審判決が誤判であり、誤判の結果、死刑の判決をしたものである旨をも含めて主張しているのであつて、この点について判断をしていない原判決は、判断を遺脱したもので、訴訟手続の法令違背(刑事訴訟法第三三五条第二項違反)があることが明らかである、というのである。
所論にかんがみ検討すると、原判決が原審における弁護人の主張を所論摘録のように要約していることおよび本件各ビラの記載中、名誉毀損関係の摘示事実が、前記第二の(一)ないし(四)の所論に関して説示したとおりであり、該摘示事実の中に、松川事件第一審判決に事実の誤認があるという事実が含まれていることは、所論のとおりであるが、原判決を前後精読すれば、原判決は、所論主張事実全部について明らかに判断をしたうえ、この事実のほかに、その余の摘示事実についても、真実の証明を要するとして判断を進めていることが認められるから、原判決が、松川事件第一審判決に事実の誤認があるとの点についての判断を遺脱したことを前提とする本所論は当らない。従つて、本論旨は理由がない。
(六)弁護人白井俊介、同桜井紀、同大矢和徳共同作成名義の控訴趣意書(其の一)記載の控訴趣意第二について。
所論は要するに、原判決は、本件各ビラの記載が、「長尾判事が外国権力に屈服して裁判の独立を抛棄し、本来松川事件の被告人達は無罪であることを知りながら、故意に死刑の判決をした」という意味の記載である旨判示しているが、本件各ビラの記載は、長尾判事が故意に外国権力に屈服し、また故意に命を奪つたとした記載ではないと解される。従つて原判決が、本件ビラの記載に長尾判事が故意に外国権力に屈服し、故意に労働者の命を奪つたというように故意に限局して、判断を進めることは、右の点について、事実を誤認したものである、というのである。
所論について考えると、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲らの配付した本件各ビラに記載された名誉毀損関係の摘示事実の内容については、前記第二の(一)ないし(四)の所論に関して説明したとおりであつて、そのビラの記載内容を偏見なく虚心に通読すれば、前叙のように読みとるほかないところであり、なるほど、その摘示事実中には、松川事件第一審判決が誤判であつたとの事実を含むことは明らかであるが、この点に関しても、さきに説示したとおりであり、また本件摘示事実の証明としては、右誤判の点のみの立証だけでは足りないことも前叙のとおりである。従つて、原判決には所論のような事実誤認の違法が存しない。本論旨は理由がない。
(七)弁護人白井俊介、同桜井紀、同大矢和徳共同作成名義の控訴趣意書(其の一)記載の控訴趣意第三および第四について。
所論は、要するに、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲が、配付した本件各ビラに記載された事実が、真実であることの証明があつたときという場合に該当するためには、松川事件第一審判決が事実を誤認したこと、および長尾判事が外国権力に屈服して裁判の独立を抛棄したことを立証することで足りると解すべきところ、当時わが国の司法権が独立を失つていたことや、松川事件第一審の審理の過程をみれば、本件各ビラの記載中、松川事件が恐るべきデッチ上げ事件であるとの部分は真実であり、同事件の判決中に死刑の宣告が含まれている以上、人殺し判決であるとの評価をした部分もまた真実に基づく評価であり、さらに松川事件第一審が、占領軍との関係において、司法権の独立を抛棄したことも真実であるから、本件各ビラが真実を記載したものであることが明白であるのに、本件各ビラの記載事実について真実の証明がないとした原判決は事実を誤認したものである、というのである。
所論について考えると、本件各ビラの各摘示事実(刑法第二三〇条の二第三項による真実の証明の対象)は、前叙のとおりであり、これらについて真実の証明があつたといえないことは前記二の(一)ないし(三)の所論に関する判断の中で説示したとおりであり、本所論中、松川事件の各証拠に関する各指摘は、松川事件第一審裁判官の心証形成の不合理をいうものであり、これについては、前記第二の(一)ないし(三)の所論に関する判断中で説示したところにより、自ら明らかなように、長尾判事が、同事件の被告人が無罪であることを知りながら、有罪の判決を言い渡したという事実の証左とするに足りないところである。そして、松川事件第一審当時、わが国の司法権が独立性を失つていたとまでは解されないこと、長尾判事が外国権力に屈服したと認めることができないことについても曩に説明したとおりである。そうとすれば、原判決には所論のような事実を誤認した違法が存しない。本論旨は理由がない。
第三、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲、同水谷謙治の各関係。
(一)弁護人桜井紀作成名義の控訴趣意書記載の控訴趣意第二点(二)弁護人阪本貞一作成名義の控訴趣意書記載の控訴趣意、(三)弁護人白井俊介、同桜井紀、大矢和徳共同作成名義の控訴趣意書(其の二)記載の控訴趣意第二(其の一および其の二)、(四)被告人水谷謙治作成名義の控訴趣意書記載の控訴趣意、(ただし同被告人関係)について。
(一)の所論は、要するに、原判決は、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲に対する本件名誉毀損の各訴因、同水谷謙治に対する本件脅迫の訴因に関する超法規的違法阻却事由の主張を排斥しているけれども、松川事件第一審判決はまことに没義道な裁判であり、このような裁判に対して、国民が脅迫的言辞を用い、名誉毀損の言動をしても、違法性を欠くと考えるべきであつて、結局、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲の本件各名誉毀損の行為、被告人水谷謙治の本件脅迫の行為は、いずれも違法性を欠くものであるのに、前記のようにこの主張を排斥した原判決は、事実を誤認したものであるというのであり、
(二)の所論は、要するに、松川事件第一審判決は、矛盾に満ち、信憑性に乏しい赤間自白を採用することから出発した単なる誤判としてすまされない不当な裁判である。そして、いわゆる裁判批判は、憲法第二一条によつて保障された表現の自由に属し、国民の権利であるとともに、公正な裁判が行われているかどうかを監視することは国民の義務にも属するのである。このような裁判批判に対し、原判示のように、とくに緊急の必要性を要件とするものと解するのは誤りであり、またかりに、右の要件を必要とするとしても、公正な裁判を受ける権利等憲法上の権利が侵害されることは常に緊急のことである。前記被告人四名ら労働者は、裁判批判をしようにも、言論機関を持たず、一般国民に呼びかけるにしても、ビラ配付等の方法以外に手段をもたなかつたのであり、同被告人らの本件各行為は国民としての自覚に基づく、やむにやまれぬ裁判批判であつて、権利行使として違法性を欠くものである。それであるのに、同被告人らが本件ビラを配付したり、長尾信を脅迫する葉書を出すこと以外に採るべき方法がなく緊急已むを得ず、そのような手段を採らなければならなかつた等というような事情が認められず、またそのような行為が相当でなかつたとして、同被告人らの本件行為につき違法阻却事由の存在を否定した原判決は、憲法第二一条ならびに刑法第三五条の解釈適用を誤つたものであるというのであり、
(三)の所論は、要するに、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲、同水谷謙治らの本件各行為は、わが国司法権の独立および国民が公正な裁判を受ける権利のための防衛行為ないしは権力犯罪もしくは不公正な裁判に対する抵抗であり、同被告人らの防衛行為によつて防衛を受ける司法権の独立ならびに国民の公正な裁判を受ける権利は、同被告人らの防衛行為によつて侵害される長尾信の名誉ならびに自由などの法益に優越するものであつて、同被告人らの本件行為については、違法性が阻却され、同被告人らは本件に関し無罪であるのに、超法規的違法阻却事由が存するためには、目的の正当性、手段方法の相当性、法益の優越、緊急性などの各要件が必要であるとし、同被告人らの行為がこれらの要件に当らないと判示した原判決は法令の解釈適用を誤つたものであり、また、もしかりに、超法規的違法阻却事由の存在には、原判示のような諸要件を必要とするとしても、同被告人らの本件各行為は原判決のあげるすべての要件を全部充足している。従つて前記のように、被告人らの本件各行為が、右の各要件を充たさないとした原判決にはこの点に関する事実の誤認がある、というのであり、
(四)の所論は、要するに、被告人水谷謙治の本件行為は、長尾判事が不正不当な訴訟手続により誤つた判決を下したことに対する抵抗権の発露による正当な行為であるのに、これを認めなかつた原判決は事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたものである、というのである。
所論にかんがみ検討すると、憲法第二一条で保障する表現の自由が無制限でなく、公共の福祉の見地から、自ら制限されるものであることは、最高裁判所の判決によつても、くりかえし判示されているところであり、名誉毀損罪についていえば、刑法第二三〇条の二の規定自体が、右の表現の自由の保障と個人の名誉の保護との調和をはかる規定であると解されるところである。そして、右刑法第二三〇条の二の規定の趣旨および同条の解釈として、曩に説明したように、確実な資料、根拠によつて、摘示事実を真実と誤信した場合には違法性が阻却されると解釈することについては、そこにすでに刑法第三五条の規定の趣旨が加味斟酌されているとも考えられ、名誉毀損罪について、このほかどのような場合に超法規的違法阻却事由があるとされるのかやや疑の存するところではあるけれども、一般に、超法規的違法阻却事由が存するとされるためには、右の第三の(二)、(三)の所論にいうように、ただその行為の目的の正当性およびその行為によつて侵害される法益と、その行為によつて保護しようとする法益との比較衡量のみによつて判断されるべきものでなく(民主主義社会においては、所論のように、全体的法益は、個人的法益に論なく優越するとも一概には考えられない)、その他の法規によつて認められた違法阻却事由にみる各種の要件とも比較対照して、相当厳格に解釈すべきものと考えられ、当裁判所も原判決が説示するとおり、その行為の目的の正当性、手段方法の相当性、その行為によつて保護する法益とその行為によつて侵害を受ける法益との比較衡量、その行為の緊急性、その行為による手段のほかに、他の手段をとることが、不可能もしくは困難であつたか否か、などの見地から、その具体的場合に応じて、判断しなければならないものと解するものである。この見地に立つて、本件をみると、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲が、それぞれ前記の各ビラを配付したことは前記認定のとおりであり、被告人水谷謙治が、長尾信に対し、原判示記載内容の葉書一通(原審前同領号の証第五号)を原判示のように投かん郵送したことは、原判決挙示の関係各証拠によつて認められるところであり、同葉書の記載が長尾信の生命、身体、自由、名誉または財産に対する害悪の告知を内容とするものであることは、その文面上明らかである。およそ、適正な裁判批判は、前記の憲法の規定によつて保障された表現の自由に属し、許されるものと解するのが、本件のごとく、すでに判決の言い渡しを終えた第一審裁判長に対し、これを脅迫し、あるいは誹謗して、その名誉を毀損し、辞職を要求することが適正な裁判批判であるとは到底認められないところであり、またそのような文辞を弄したビラを配付し、あるいは脅迫文言を記載した葉書を右第一審裁判長の私宅に郵送することが、司法権の独立、公正な裁判を受ける権利を守るために、他に採るべき手段がなく、やむを得ずして為されたものであり、これを社会的にみて相当な行為であつたと到底認められない。従つて、右被告人四名の本件各行為は、超法規的違法阻却事由の存在のための前記各要件を欠くものといわなければならない。されば、右と同趣旨に出でた原判決には、この点について、事実の誤認もしくは法令の解釈適用を誤つた違法が存しない。本論旨は理由がない。
(五)名古屋地方検察庁検察官検事上田明臣作成名義の控訴趣意書記載の控訴趣意二について。
所論は、要するに、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲、同水谷謙治の四名に対する原判決の各量刑が、いずれも軽過ぎて不当である、というのである。
所論にかんがみ、記録を調べ、当審における事実取調べの結果を参酌し、証拠にあらわれた本件各量刑に影響を及ぼすべき一切の情状を検討すると、右被告人四名各自の本件各行為が、所論のごとく松川事件第一審裁判長であつた長尾信に対する報復の趣旨を含む行為であることはこれを明認し得るところであり、不法に右裁判官を威迫する意図に出たことが十分にうかがわれ、また同被告人らにおいて、それぞれの事案につき、未だ改悛の情が認められないけれども、本件審理の遅延した原因は、ともかく、同被告人らが、それぞれ本件の当該ビラを配付し、または当該脅迫の葉書を郵送したときからすでに、長年月を閲し、その間、同被告人らが刑事被告人として受けた苦痛は、これを十分推認できるのであり、また松川事件第一審判決が、その後事実誤認ありとして破棄されたばかりでなく、結局同事件関係被告人ら全員につき無罪の判決が既に確定しており、本件被告人らが、前記松川事件に事実誤認があると信じたことに関する限り相当な理由があつたことは前叙のとおりであつたことなどを考慮すれば、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲、同水谷謙治の四名を各懲役四月に処し、各一年間、当該刑の執行を猶予した原判決の各量刑措置はいずれも相当として、これを肯認することができ、この際これを変更すべき特段の事情があるものとは認められない。本論旨は理由がない。
上来説明のとおりであるので、本件各控訴は、それぞれいずれの観点からしても、その理由がないから、各刑事訴訟法第三九六条に則り、いずれもこれを棄却することとし、当審における訴訟費用中証人藤本功に支給した分は、全部同法第一八一条第一項本文を適用して、被告人隠岐尚一、同加藤正一、同三輪晴雲、同水谷謙治の四名をして、平等に負担させることとする。
以上の理由によつて、主文のとおり判決をする。